インフルエンサーマーケティングと景品表示法:ステルスマーケティングの法的・倫理的課題
はじめに
現代のエンターテインメント業界において、SNSを活用したインフルエンサーマーケティングは、消費者へのリーチを拡大する有効な手段として急速に普及しました。しかし、その一方で、インフルエンサーによる商品やサービスの紹介が、広告であるにもかかわらずその事実が隠蔽される「ステルスマーケティング(ステマ)」と呼ばれる行為が横行し、消費者の信頼を揺るがす倫理的・法的な問題として浮上しています。本稿では、このステルスマーケティングという事例を取り上げ、日本の景品表示法(不当景品類及び不当表示防止法)との関連性や、エンタメ業界が直面する法的・倫理的な課題、そして今後の展望について深く分析します。
事例の詳細な説明と発生経緯
インフルエンサーマーケティングにおけるステルスマーケティングとは、事業者がインフルエンサーに報酬を支払ったり、商品・サービスを提供したりして、宣伝・広告を依頼しているにもかかわらず、そのインフルエンサーがその事実を明示せず、あたかも自身の純粋な意思に基づく推奨であるかのように商品・サービスを紹介する行為を指します。
具体的には、人気のあるインフルエンサーが自身のInstagramやX(旧Twitter)、YouTubeなどのプラットフォーム上で、特定の化粧品や健康食品、ゲームアプリなどを「個人的なお気に入り」「最近見つけた良いもの」として紹介し、消費者もそれを純粋なレビューとして受け止めるケースが多々ありました。しかし、その裏で事業者から金銭的な報酬や無償提供を受けていた場合、消費者は広告であることを認識しないまま、インフルエンサーの客観的な意見であると誤解して商品選択をしてしまう可能性があります。
このような状況は、一部の消費者の間で「騙された」という不信感を募らせ、SNS上での炎上や、メディアによる報道を通じて社会問題として認識されるようになりました。特に、広告と非広告の境界が曖昧であることから、規制のあり方についても議論が深まっていきました。
事例における倫理的・法的な問題点の特定と分析
ステルスマーケティングは、複数の倫理的・法的な問題点を内包しています。
倫理的側面
まず倫理的な観点からは、消費者の「知る権利」の侵害が挙げられます。消費者は、情報源が広告であるか否かを知った上で、その情報を評価し、商品選択を行う権利を持っています。ステルスマーケティングは、この情報提供の透明性を欠き、消費者の意思決定を不当に歪めるものです。これにより、消費者の情報リテラシーが試されるだけでなく、インフルエンサーや事業者に対する社会全体の信頼性が低下する結果を招きます。また、公正な競争環境も阻害され、適切な表示を行う事業者が不利になるという問題も発生します。
法的側面
次に法的な観点から見ると、日本の景品表示法における「不当表示」に該当する可能性が指摘されていました。景品表示法は、一般消費者の自主的かつ合理的な商品選択を阻害するおそれのある不当な表示を規制し、公正な競争を確保することを目的としています(同法第1条)。
特に問題となるのは、景品表示法第5条第3号に基づく「一般消費者が事業者の表示であることを判別することが困難である表示」です。2023年10月1日からは、この「一般消費者が事業者の表示であることを判別することが困難である表示」(通称「ステマ規制」)が景品表示法の「不当表示」として明確に指定され、法的な規制対象となりました。
この規制のポイントは、「事業者の表示」であるにもかかわらず、一般の消費者がそれを広告と認識できないような表示方法が不当表示とみなされる点にあります。インフルエンサーの投稿が「事業者の表示」とみなされるには、事業者がインフルエンサーに対し、商品の紹介を依頼し、その対価として金銭や商品提供などの経済的利益を供与しているなどの関係性があることが必要です。この場合、事業者には、インフルエンサーが「広告であること」を明示するように指示する義務が生じ、インフルエンサー側もそれに従うべきこととなります。
具体的にどのような表示が「一般消費者が事業者の表示であることを判別することが困難である表示」に該当するかは、消費者庁が公表している運用基準等で詳細が示されていますが、「広告」「宣伝」「PR」「プロモーション」といった文言や、提携を示すハッシュタグ(例:#AD, #Sponsored)など、一般消費者が広告であると容易に認識できる表示が求められます。これらの表示がない場合、原則として不当表示に該当する可能性が高まります。
関連する法規、判例、法理論等の解説と事例への適用可能性
景品表示法(不当景品類及び不当表示防止法)
前述の通り、ステルスマーケティング規制の主軸となるのは景品表示法です。
- 規制対象者: 景品表示法の規制対象は、原則として「事業者」です。したがって、ステルスマーケティングの場合、広告主である事業者が規制の対象となります。インフルエンサーは、事業者の指示に基づいて広告活動を行う主体であり、事業者と一体とみなされる場合に限り、事業者としての責任を問われる可能性もゼロではありませんが、基本的には広告主である事業者が措置命令や課徴金納付命令の対象となります。
- 不当表示の種類:
- 優良誤認表示(第5条第1号): 実際よりも著しく優良であると誤認させる表示。例えば、ステマによって商品の効果を過大に表現する行為がこれに該当する可能性があります。
- 有利誤認表示(第5条第2号): 取引条件が実際よりも著しく有利であると誤認させる表示。
- その他誤認されるおそれのある表示(第5条第3号): 2023年10月1日施行の指定告示により、ステルスマーケティングが直接的に規制対象となりました。事業者がインフルエンサーを介して表示を行う際、それが「事業者の表示」であると一般消費者が判別できない場合、この条項に抵触します。
消費者契約法
景品表示法が行政指導や行政処分を主要な手段とするのに対し、消費者契約法は消費者と事業者間の契約の適正化を目的としています。もしステルスマーケティングによる不当な勧誘や情報提供が消費者の誤認を誘発し、それに基づいて契約が締結された場合、消費者は当該契約を取り消すことができる可能性があります(消費者契約法第4条第1項第1号:不実告知)。ただし、これは契約締結の判断に直接影響を与えるような誤認である必要があり、景品表示法のような広範な規制とは性質が異なります。
海外の規制動向
国際的に見ても、広告の透明性確保は重要な課題です。例えば、米国では連邦取引委員会(FTC)が「エンドースメントと証言に関するガイドライン」を定めており、インフルエンサーが広告主から報酬や無料の商品を受け取っている場合は、その関係性を明確に開示することを義務付けています。日本の景品表示法におけるステマ規制は、このような国際的な規制動向とも軌を一にするものと言えるでしょう。
事例から学ぶべきこと、課題、今後の展望、学術的議論の可能性
エンタメ業界への示唆と課題
ステルスマーケティング規制の強化は、インフルエンサーマーケティングに関わるエンタメ業界全体に大きな影響を与えます。事業者(広告主)は、インフルエンサーとの契約において、広告である旨の明示義務を明確に盛り込み、その履行を徹底する必要があります。インフルエンサー自身も、自身の発信が広告である場合には、その旨を明示する高い倫理観とコンプライアンス意識が求められます。
また、SNSプラットフォーム事業者も、利用規約やガイドラインを通じて、広告の明示を推奨・義務付けるなど、その役割を果たすことが期待されます。これにより、業界全体として透明性の高い広告活動を推進し、消費者からの信頼を回復・維持していくことが喫緊の課題となります。
今後の展望と学術的議論の可能性
景品表示法によるステマ規制は施行されたばかりであり、今後の運用状況や、具体的な違反事例とその処分を通じて、その解釈や適用範囲がより明確になっていくでしょう。これにより、以下のような学術的議論が発展する可能性があります。
- 「事業者の表示」の範囲と判断基準: インフルエンサーの活動がどこまで「事業者の表示」とみなされるのか、グレーゾーンに対する具体的な運用指針の検証と、その法的妥当性。
- 表現の自由とのバランス: 広告の明示義務と、インフルエンサーの表現の自由(個人の意見表明の自由)との間で、いかに適切なバランスを取るか。この問題は、憲法学的な視点からも議論の余地があります。
- プラットフォーム事業者の責任: SNSなどのプラットフォーム運営者が、ステルスマーケティングに対し、どこまでの監視・是正義務を負うべきか、その法的責任のあり方。
- 消費者教育の強化: 規制強化に加え、消費者が主体的に広告を見抜く力を養うための教育や啓発活動の重要性。
これらの議論は、インターネット社会における新たな広告形態の出現と、それに対する法規制の進化という、現代社会の重要なテーマを浮き彫りにします。
まとめ
インフルエンサーマーケティングにおけるステルスマーケティングは、消費者に対する情報操作であり、倫理的にも法的にも重大な問題です。2023年10月1日からの景品表示法による規制強化は、この問題に対する明確な法的回答を与え、消費者保護の観点から大きな一歩となりました。
エンタメ業界に携わる全ての関係者は、この規制の趣旨を深く理解し、広告活動における透明性と公正性を確保するよう努める必要があります。これにより、消費者の信頼を回復し、健全なエンタメビジネスの発展に寄与することが期待されます。本事例は、法学を学ぶ者にとって、最新の社会現象がどのように既存の法体系に位置づけられ、また新たな法制度がいかに形成されていくかを理解する上で、貴重なケーススタディとなるでしょう。